絵描きは辛いことばかりあるんだ。。
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おえかき
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2009/06/04 (Thu)

なんかな。。きょうは Hpとマールマガジンを作っていた
午前はジムに行き
昼は なかよしの おばさんが ランチしたい。。って
で。。午後搬入 夜は 御客の依頼が入り 夜のばら園を描きに行く
しかし 人間は なにもしなくて いいって 日があったら
何をしてるだろう。。
いまの 一番の悩みは 映画だ。。 行きたい 行きたい
なにも 他のことを一緒にすることなく それだけに 時間を費やす映画がすきだ。。
人間 「エッチ」をするとき と
「映画」を 見るときは そこに 専念してほしい。。
さて きょうは わたしの好きな 考えをもった 画家だ。。
広重

風景をたくさんの人に そのときを切り取って
見せるって ところでね。。
ま。。春画 (エロ本)の起源みたいなもんで
下の作品は喜多川歌麿の枕絵(春画)落ち着いた品格と風格がある。
この「ねがひの糸ぐち」はその代表的な作品群のひとつ。
本作品はその第7図である。
だってさ・・

大きい画像のに
できなかった あまり エロで。。
ここに載せてはいけないかな??って
で・・春画は そんな 広まらないっていうか 展示してない
飾ることもないからね。。
しかし 一回 すごいのを みた
「買わない?」って すごかった 復刻版が 新聞社でだしたんだね
硬い箱にはいり 一枚一枚が 紙に包まれていた
でもね そんなの 私が 持っていても。。って 買わなかった
その次。。
=========================
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年2月23日 - 1997年3月8日)は、画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動、多才がゆえに“池田芸術”は高い知名度のわりに現在でもなかなか正当に評価されていない[1]。独創性を重視し、一つの表現手段にこだわらず、変身を繰り返したからである。
=========================

すばらしい。。
多くの制作した 本物をみんなに見せたい と 「版画」にする
わたしは おもった
エロスを考えながら
そのように たくさんの絵を手物とあげること それが わたしの絵を
みんなに 見てもらう 手段なんだと。。
個展を見に行って
そのエロスに感激
わたしも 描きたい
わたしは 版画はしないだけど 描きたい
でも その勢いで
版画を刷るが如くのスピードで絵を描けば
それで いいのだ。。そして みんなに 配る
わたしの 生きていた 証だ。。
わたしは 肩こり 腱鞘炎は ない
年間 6000枚は描くだろうな。。
しかし 平気だ。。
だから 彼らのように たくさんの絵を
みんなの手に渡したい
さて きょうもハードだ。。
しかし わたしは 喜ぼう。。
絵を描ける ことを。。

平和を願う はな「ピース」だ。
しかし わたしは もっと もっと
エロい 絵をかきたい。。
なんかな。。きょうは Hpとマールマガジンを作っていた
午前はジムに行き
昼は なかよしの おばさんが ランチしたい。。って
で。。午後搬入 夜は 御客の依頼が入り 夜のばら園を描きに行く
しかし 人間は なにもしなくて いいって 日があったら
何をしてるだろう。。
いまの 一番の悩みは 映画だ。。 行きたい 行きたい
なにも 他のことを一緒にすることなく それだけに 時間を費やす映画がすきだ。。
人間 「エッチ」をするとき と
「映画」を 見るときは そこに 専念してほしい。。
さて きょうは わたしの好きな 考えをもった 画家だ。。
広重
風景をたくさんの人に そのときを切り取って
見せるって ところでね。。
ま。。春画 (エロ本)の起源みたいなもんで
下の作品は喜多川歌麿の枕絵(春画)落ち着いた品格と風格がある。
この「ねがひの糸ぐち」はその代表的な作品群のひとつ。
本作品はその第7図である。
だってさ・・

大きい画像のに
できなかった あまり エロで。。
ここに載せてはいけないかな??って
で・・春画は そんな 広まらないっていうか 展示してない
飾ることもないからね。。
しかし 一回 すごいのを みた
「買わない?」って すごかった 復刻版が 新聞社でだしたんだね
硬い箱にはいり 一枚一枚が 紙に包まれていた
でもね そんなの 私が 持っていても。。って 買わなかった
その次。。=========================
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年2月23日 - 1997年3月8日)は、画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動、多才がゆえに“池田芸術”は高い知名度のわりに現在でもなかなか正当に評価されていない[1]。独創性を重視し、一つの表現手段にこだわらず、変身を繰り返したからである。
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すばらしい。。
多くの制作した 本物をみんなに見せたい と 「版画」にする
わたしは おもった
エロスを考えながら
そのように たくさんの絵を手物とあげること それが わたしの絵を
みんなに 見てもらう 手段なんだと。。
個展を見に行って
そのエロスに感激
わたしも 描きたい
わたしは 版画はしないだけど 描きたい
でも その勢いで
版画を刷るが如くのスピードで絵を描けば
それで いいのだ。。そして みんなに 配る
わたしの 生きていた 証だ。。
わたしは 肩こり 腱鞘炎は ない
年間 6000枚は描くだろうな。。
しかし 平気だ。。
だから 彼らのように たくさんの絵を
みんなの手に渡したい
さて きょうもハードだ。。
しかし わたしは 喜ぼう。。
絵を描ける ことを。。
平和を願う はな「ピース」だ。
しかし わたしは もっと もっと
エロい 絵をかきたい。。
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2009/06/03 (Wed)

そうだ。。昨日4日間って いっていたけど
ちがった
デパートの出店の店長 皆勤賞でした。。ありがとうね
彼女は 旦那さんがなくなり 一人で4人の子供を育てながら
がんばっています
明るく すごいな。。感謝してきました。。
子供達もみんな 見に来てくれて
妹さんとかも すごい 感謝でした。
で。。今日はまだ 好きな画家
「梅原龍三郎」

===================
梅原龍三郎プロフィール
本名良三郎。伊藤快彦の画塾鐘美館に通う。その後聖護院洋画研究所と合併、同所で学ぶ。のち関西美術院で浅井忠に師事する。明治41年から大正2年に渡仏、ルノワールに師事する。1922年(大正11年)に春陽会の設立に参加。春陽会を去った後、土田麦僊の招きで国画創作協会に合流、15年に洋画部を設立。昭和3年には独立し「国画会」となる。 昭和10年に帝国美術院会員、昭和19年に帝室技芸員、東京美術学校教授となる。師ルノワールの影響を受けた、柔らかで華やかな色、豪快なタッチが特徴である。また有島生馬を通じ、『白樺』にルノワールやパリの芸術についての文章を寄せている。昭和27年東京美術学校教授辞任、ベネチア・ビエンナーレの国際審査員、同年に文化勲章を受章。昭和32年に日本芸術院会員を辞任。48年フランス政府よりコマンドール勲章。昭和61年歿、享年97歳。
====================



この紫禁城が すきだ。。
動きのある すばらしい線には こころときめく
あまり画家を知らなかったわたしは ある日 古本屋で美術全集が
一冊1000円で 売っているのをみた
一冊 10000円位のだったので
何冊か かった
画集を買うことが 中学からの夢で
少しずつ集めていたんだよね
そんななか すごい うれしかった
こんな 線が あるのかと おもった
日本の 安井曾太郎はすばらしい

そして 晩年の
この絵の 線もすきだ。。
線は 生きていなくては いけない
そんな 線を教えてくれる 二人だ。
しっかりした 「基本」が 出来てこその 「動く線」だね。。
それを求めて 行こう。。
でも その前に 掃除しなくちゃな。。
がんばるよ。。

これをはがきに 使った
この アンバランスの線が 好きだ。。
そうだ。。昨日4日間って いっていたけど
ちがった
デパートの出店の店長 皆勤賞でした。。ありがとうね
彼女は 旦那さんがなくなり 一人で4人の子供を育てながら
がんばっています
明るく すごいな。。感謝してきました。。
子供達もみんな 見に来てくれて
妹さんとかも すごい 感謝でした。
で。。今日はまだ 好きな画家
「梅原龍三郎」

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梅原龍三郎プロフィール
本名良三郎。伊藤快彦の画塾鐘美館に通う。その後聖護院洋画研究所と合併、同所で学ぶ。のち関西美術院で浅井忠に師事する。明治41年から大正2年に渡仏、ルノワールに師事する。1922年(大正11年)に春陽会の設立に参加。春陽会を去った後、土田麦僊の招きで国画創作協会に合流、15年に洋画部を設立。昭和3年には独立し「国画会」となる。 昭和10年に帝国美術院会員、昭和19年に帝室技芸員、東京美術学校教授となる。師ルノワールの影響を受けた、柔らかで華やかな色、豪快なタッチが特徴である。また有島生馬を通じ、『白樺』にルノワールやパリの芸術についての文章を寄せている。昭和27年東京美術学校教授辞任、ベネチア・ビエンナーレの国際審査員、同年に文化勲章を受章。昭和32年に日本芸術院会員を辞任。48年フランス政府よりコマンドール勲章。昭和61年歿、享年97歳。
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この紫禁城が すきだ。。
動きのある すばらしい線には こころときめく
あまり画家を知らなかったわたしは ある日 古本屋で美術全集が
一冊1000円で 売っているのをみた
一冊 10000円位のだったので
何冊か かった
画集を買うことが 中学からの夢で
少しずつ集めていたんだよね
そんななか すごい うれしかった
こんな 線が あるのかと おもった
日本の 安井曾太郎はすばらしい

そして 晩年の

この絵の 線もすきだ。。
線は 生きていなくては いけない
そんな 線を教えてくれる 二人だ。
しっかりした 「基本」が 出来てこその 「動く線」だね。。
それを求めて 行こう。。
でも その前に 掃除しなくちゃな。。
がんばるよ。。

これをはがきに 使った
この アンバランスの線が 好きだ。。

