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これは ライオンではない
朝起きたら すごい 良い天気だったので
山を描こうと でたら
すごい みねなくって
かえってきちゃたた
だめだね。。
さて コレクション
さて 誰の絵かわからない
たしか 大阪の阪急に行ったときかな?
版画 sm版かな で 10000円だったかと 思う
作家が かわいく
あまり 売れていないし
なんか 良い感じだったので 購入
教室に飾ったある
さて 今日は これから 旦那の親戚の葬儀にいく
行きたいくない
喪服なんて もっていない
まったく いやだ
デブで 以前のは はいらないだろう
そうそう 昨日NHK で戸塚 洋二さんとうい
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1960年、静岡県立富士高等学校卒業、1965年、東京大学理学部物理学科卒業。1972年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士。その後、東京大学理学部教授を経て1988年に東京大学宇宙線研究所教授。
1995年には神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年からは東京大学宇宙線研究所長。翌1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認しニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した。2001年に起きたスーパーカミオカンデの光電子増倍管の70%を損失する大規模破損事故の責任をとり、東京大学を辞職した。翌2002年には高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所教授となった。2003年より2006年まで同機構長。
2007年、アメリカ合衆国版ノーベル賞ともいわれるベンジャミン・フランクリン・メダル(物理学部門)を受賞。
2008年7月10日、直腸ガンのため逝去(66歳没)。2002年のノーベル物理学賞受賞者であった小柴昌俊の愛弟子の1人。小柴は文藝春秋2008年9月号に寄稿した追悼文集「弟子の弔辞を読む痛恨」において、洋二の告別式での弔辞で「あと十八ヶ月、君が長生きしていれば、国民みんなが喜んだでしょう」とノーベル賞受賞を期待されながらの逝去を惜しんだ事を明かしている
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を 見ていた
科学は すばらしいね
でも なぜ人は 死ぬのかなって
新しい 命が 生まれるためかもしれないね
死を間近にしたら
わたしなら 何を思い 何をるるだろうか
どんな ときも 絵を描きたいね
人に 絵をあげたい
わたしの小さな 目標は
わたしの住んでいる この県に その家庭にも
一枚の印刷でも いいから
私の絵が あることだ。。
絵は目が見えなくなったら かけない
しかし 心が病んでも
手が無くなっても
かける って 思ってる
きょうは 主人の旦那の叔父さんの葬儀だ
いやだけど 行こう
どんな 顔して いくのだろう
まったく 嫌だ
車で すれちがって
それ以来だ
話したら 2年ぶりかな??
では・・