絵描きは辛いことばかりあるんだ。。
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2012/06/19 (Tue)
わ。
カフェの人 やめちゃった。。
きっと 私の事 嫌だったのかもな。。って
反省。。
ううう。。
で。。
年表の続き。。
あ、。。
うちの授業員が
「先生のお父さんって ハーフだったんですか?:」て
ウイン って 名前だったから
「加藤」って いうんだけど
「加藤」→「勝とう」→「ウイン」→「win」でいいかな?
むりなんだけど
受け狙おうとおもったら
本当の受け もらちゃった。。(*^_^*)
でね。。
わからないように
適当に なおしています。
理解のほどをご了承ください
=================
で 「某」って 書くね。。
《1982年》
●大学5年まで通い、卒業。
●某養護学校に就職し、A市から40キロほどの距離を毎日通う。小さな学校のため音楽専科になり、音楽と美術を教える。音楽も数学と同じ事に気づく。
《1985年》
●元旦那氏に逢う。翌年、彼のモーレツなアタックに結婚を決める。
《1988年》
●妊娠流産の後、長男を産む。のちに彼は小児糖尿病(難病)となる。
《1991年》
●次男を産む。産後が悪く歩行困難になる。それを機に学校の先生を辞める。
《1992年~》
●友人より「絵を子供に教えてくれないか?」と頼まれ、「シャローム造形教室」を開設。
●絵を教えながら描かない自分に奮起し、中国人画家氏に水彩画を習う。高校から水彩画を描いていなかったが、早く乾く水彩画が自分にあっていることを知る。
●銀座の画廊巡りをしているとき、画廊の主人に「絵描きさん?」と声をかけてもらう。その主人の勧めで東京画廊で、はがき大の絵を販売してみる。完売。
《2003年》
●東京の展覧会の成功が大きな自信になり、A市で初個展。
●某三流新聞A前橋のT支局長に「頭がいいか?」と聞かれ、「絵も描けるし頭もいい」と自画自賛。 某三流新聞超地方版の連載が始まる。デスクに文章を校正してもらう。
●同じころ、凹版印刷のS氏に会う。
●某三流新聞Aの読者が増え、社長協会の前進氏に会う。会報の表紙の仕事をもらい、「先生は10年後、すばらしい人になる」といつも支えてもらう。
《2005年》
●地方有名本屋で第2回の個展をする。初めての画集「私のスケッチブック」を凹版印刷から出版。初版1500部は1年で完売。
●飛び込みで喫茶店「シロクマ(仮名)」を訪れる(後にけんちゃんと住む家になる)。喫茶店のマスター、ジャイアント氏は社長をしながらダンスの先生もしていた。「シロクマ」にて氏との対話を楽しんだ。
●元旦那氏と別居。眠れない日々が続き、倒れる。泣き崩れる私を次男、歩が「まだかわいいよ」と頭をなでてくれる。20年ぶりの失恋に立ち上がることができなくなる。
(ここだけのはなし。。20才彼と離れているので わたしとは24才年の下の女の子 すごい きれいでした。。(>o<))
《2007年》
●「私のスケッチブック2」を出版し、「私のスケッチブック1」を増刷。
●某地方新聞「○○」で連載「私の気ままにスケッチ」を始める。多方面から仕事の依頼が入り、造形教室も軌道に乗って元気になる。
●カレンダーの仕事で担当になった15才年下のけんちゃんと初の顔合わせ。たばこを吸うけんちゃんが近くに来ることも話すことも嫌なので毛嫌いする。
《2008年》
●じゃぱんわーきんぐ山岳連盟の雑誌「○○」の表紙を担当する。
●世界豚株式会社 赤城ソビエト連邦さんに出会い ハム工房ジャパンのパンフレットの仕事をいただく(後ハム工房じゃぱんの地域のかるた(超地方かるた)の制作をする。)
《2009年》
●「たばこをやめました」とけんちゃんの告白にデートをすることに決める。
猛アッタクを 受ける
●12月 姉、優子の長女、暁子とイタリア旅行をする。
《2010年》
●1月 けんちゃんと初デート。一回だけの「エッチ」の約束でデートをする
●けんちゃん おわって 帰りのくるまで
「もういっかいだけ。。デーとして。!」と だだをこねる。
●9月 某美術館20周年記念企画展「○○」に出展する。
●11月 ジャイアント氏からけんちゃんと一緒に住むことを勧められる。
●12月 某美術館の展示をきっかけに○○温泉「まるまる館」から声をかけてもらう。
《2011年》
●3月 東日本大震災で心が固まる。けんちゃんの支えで心が温まり、ジャイアント氏の暖かい心で引っ越しをすることになる。
●○○温泉で元オリンピック選手、F氏に声をかけてもらう。「絵描き」と言うのが恥ずかしく、「詐欺師」と答える。けんちゃんのことを「愛人」と答えるとすごく喜び、家に上げてもらう。その後、F氏の「ペンション 」は私の○○温泉の家となる。
●7月 「まるまる館」で展覧会。子供と大人の生徒30名ほどの作品と半年ほどで描いたふるさと氏の詞を描いた絵はがきを展示する。
《2012年》
●S市(るた)の絵・書道を担当 もと村長(レーサーの父氏84才)とかるた制作をたのしむ。
●3月 元旦那氏と離婚。
●6月 T市「某保育園」の園歌を作詞。
●7月 「まるまるの館」で初の個展。
《201●年》(想像年表)
●けんちゃんとのことを表現し、ファンにたくさんの驚きを与える。
●ジャイアント氏からの「アトリエ」を「芸術の場」とし、美術館を開設。
●多くの芸術を愛する人が集まり、多方面において活用される場になる。
「長い人生で 今がいちばん 幸せです。」
ご静聴 ありがとうございました。
わ。
カフェの人 やめちゃった。。
きっと 私の事 嫌だったのかもな。。って
反省。。
ううう。。
で。。
年表の続き。。
あ、。。
うちの授業員が
「先生のお父さんって ハーフだったんですか?:」て
ウイン って 名前だったから
「加藤」って いうんだけど
「加藤」→「勝とう」→「ウイン」→「win」でいいかな?
むりなんだけど
受け狙おうとおもったら
本当の受け もらちゃった。。(*^_^*)
でね。。
わからないように
適当に なおしています。
理解のほどをご了承ください
=================
で 「某」って 書くね。。
《1982年》
●大学5年まで通い、卒業。
●某養護学校に就職し、A市から40キロほどの距離を毎日通う。小さな学校のため音楽専科になり、音楽と美術を教える。音楽も数学と同じ事に気づく。
《1985年》
●元旦那氏に逢う。翌年、彼のモーレツなアタックに結婚を決める。
《1988年》
●妊娠流産の後、長男を産む。のちに彼は小児糖尿病(難病)となる。
《1991年》
●次男を産む。産後が悪く歩行困難になる。それを機に学校の先生を辞める。
《1992年~》
●友人より「絵を子供に教えてくれないか?」と頼まれ、「シャローム造形教室」を開設。
●絵を教えながら描かない自分に奮起し、中国人画家氏に水彩画を習う。高校から水彩画を描いていなかったが、早く乾く水彩画が自分にあっていることを知る。
●銀座の画廊巡りをしているとき、画廊の主人に「絵描きさん?」と声をかけてもらう。その主人の勧めで東京画廊で、はがき大の絵を販売してみる。完売。
《2003年》
●東京の展覧会の成功が大きな自信になり、A市で初個展。
●某三流新聞A前橋のT支局長に「頭がいいか?」と聞かれ、「絵も描けるし頭もいい」と自画自賛。 某三流新聞超地方版の連載が始まる。デスクに文章を校正してもらう。
●同じころ、凹版印刷のS氏に会う。
●某三流新聞Aの読者が増え、社長協会の前進氏に会う。会報の表紙の仕事をもらい、「先生は10年後、すばらしい人になる」といつも支えてもらう。
《2005年》
●地方有名本屋で第2回の個展をする。初めての画集「私のスケッチブック」を凹版印刷から出版。初版1500部は1年で完売。
●飛び込みで喫茶店「シロクマ(仮名)」を訪れる(後にけんちゃんと住む家になる)。喫茶店のマスター、ジャイアント氏は社長をしながらダンスの先生もしていた。「シロクマ」にて氏との対話を楽しんだ。
●元旦那氏と別居。眠れない日々が続き、倒れる。泣き崩れる私を次男、歩が「まだかわいいよ」と頭をなでてくれる。20年ぶりの失恋に立ち上がることができなくなる。
(ここだけのはなし。。20才彼と離れているので わたしとは24才年の下の女の子 すごい きれいでした。。(>o<))
《2007年》
●「私のスケッチブック2」を出版し、「私のスケッチブック1」を増刷。
●某地方新聞「○○」で連載「私の気ままにスケッチ」を始める。多方面から仕事の依頼が入り、造形教室も軌道に乗って元気になる。
●カレンダーの仕事で担当になった15才年下のけんちゃんと初の顔合わせ。たばこを吸うけんちゃんが近くに来ることも話すことも嫌なので毛嫌いする。
《2008年》
●じゃぱんわーきんぐ山岳連盟の雑誌「○○」の表紙を担当する。
●世界豚株式会社 赤城ソビエト連邦さんに出会い ハム工房ジャパンのパンフレットの仕事をいただく(後ハム工房じゃぱんの地域のかるた(超地方かるた)の制作をする。)
《2009年》
●「たばこをやめました」とけんちゃんの告白にデートをすることに決める。
猛アッタクを 受ける
●12月 姉、優子の長女、暁子とイタリア旅行をする。
《2010年》
●1月 けんちゃんと初デート。一回だけの「エッチ」の約束でデートをする
●けんちゃん おわって 帰りのくるまで
「もういっかいだけ。。デーとして。!」と だだをこねる。
●9月 某美術館20周年記念企画展「○○」に出展する。
●11月 ジャイアント氏からけんちゃんと一緒に住むことを勧められる。
●12月 某美術館の展示をきっかけに○○温泉「まるまる館」から声をかけてもらう。
《2011年》
●3月 東日本大震災で心が固まる。けんちゃんの支えで心が温まり、ジャイアント氏の暖かい心で引っ越しをすることになる。
●○○温泉で元オリンピック選手、F氏に声をかけてもらう。「絵描き」と言うのが恥ずかしく、「詐欺師」と答える。けんちゃんのことを「愛人」と答えるとすごく喜び、家に上げてもらう。その後、F氏の「ペンション 」は私の○○温泉の家となる。
●7月 「まるまる館」で展覧会。子供と大人の生徒30名ほどの作品と半年ほどで描いたふるさと氏の詞を描いた絵はがきを展示する。
《2012年》
●S市(るた)の絵・書道を担当 もと村長(レーサーの父氏84才)とかるた制作をたのしむ。
●3月 元旦那氏と離婚。
●6月 T市「某保育園」の園歌を作詞。
●7月 「まるまるの館」で初の個展。
《201●年》(想像年表)
●けんちゃんとのことを表現し、ファンにたくさんの驚きを与える。
●ジャイアント氏からの「アトリエ」を「芸術の場」とし、美術館を開設。
●多くの芸術を愛する人が集まり、多方面において活用される場になる。
「長い人生で 今がいちばん 幸せです。」
ご静聴 ありがとうございました。
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