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すごい 二日酔いだ。
こんなんだね。
カクテル って すごいね
ほんとうは ビール1杯で いいや。。
ところで もう 一人 好きな画家 いた
すまないけど 書いて良いかな・
フリーダカーロ
実際のかれらの 写真だ
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コヨアカンの出身。ドイツ系ユダヤ人[1]移民で写真技師の父ルーマニア・オラデア出身とメキシコ先住民の血を引く母[2]の間に生まれた。6歳の時にポリオに罹患して右足が不自由になる。また二分脊椎症を患っていた[3]。更に1925年9月17日、乗っていたバスが路面電車と衝突し、肩の脱臼、肋骨・鎖骨・背骨・骨盤の骨折、右足の粉砕骨折など瀕死の重傷を負った。
入院中に絵を独学で学び、ディエゴ・リベラにその才能を認められ、1929年8月21日にリベラと結婚。しかしリベラとフリーダ双方の浮気(フリーダはバイセクシュアルであった[4])や、バス事故の後遺症に伴う流産などが重なって1939年に離婚するが翌年復縁し、以降は怪我の後遺症に苦しみながら創作活動を行う。ヨーロッパ的な感性にインスピレーションを得、知的かつ特徴的な独自のシュルレアリスムは、フランスのシュルレアリストに高く評価された。
メキシコで最も有名な画家の1人で、特にイサム・ノグチやレフ・トロツキーとの不倫など、その奔放な恋愛遍歴は、メキシコやラテンアメリカの女性の理想像の1つとされ、何度か映画化されている。メキシコ共産党員でもあり、居室にヨシフ・スターリンの肖像を掲げて暮らしていた。
1954年7月13日、肺塞栓症で逝去。彼女の生家・通称「青の家」(La Casa Azul)は、現在「フリーダ・カーロ博物館」となっている。
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情熱を感じる
夫は いつでも どこでも
女と うわきだ
しかし 彼女は いらいらしながらでも 夫をまつ
彼女のことをしって
映画になるのを たのしみにしていた
http://www.frida.jp/
どんな映画か わかるよ
どんな 苦悩の時も 絵を描き続ける
すばらしいな。。
美術館で 見てから 映画を見た
その 貪欲なまでも 「描く」って ことが
すごね。
わたしは そこまで いけなかった
絵が うまくないんだね。
どうしたら いいんだ
人の 心まで 動かせることがしたい、、
きのう すばらしい手紙が 来ていた
なんとも いただいたのに 鞄に いれていた
きのう 封筒がほしくて あけたら
すばらしいないようだった。
ファンを 大切に出来ない
わたしに 絵に喜びが 入れられるだろうか。。
眠いので もう少し寝てから
でかけます
わすれました
きのう わたしの展示のデパートで
この人の 展覧会をやってる 画商さんが きました
「先生の版画かして」って これ 額付き52500円
あっと いう間に 作ってくれます
わたし。こんな 美人では ありません
(demo sukoshi yokokonndeimasu)