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個展では わたしは 一冊一冊にサインをしてる
今は バラが きれいだったから
バラがおおいね
でもね ばらって なんか 叶姉妹に似てない?
ほんとうは もっと かわいい 素朴な花なんか すきなんだけどね。。
で。。進化だ。。
だれだって 「脳みそ」と「技能」を 訓練して
進化に 進んでいく
まず 脳みそは 「指導者」によって 養われる
そして 何回も 何回も 描かなくてはいけない
昨日 NHKでビュフェをしていた
かっこいいね
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1943年、パリ国立高等芸術学校に入学。1948年、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。この頃から天才画家として有名であった。硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩を特色とする独自の様式を築き、その画面には人物の不安げな表情などとあいまって第二次大戦後の作者の不安で荒涼とした心象風景が表されている。女性像のモデルは多くの場合、妻のアナベルである。油彩画のみならず、優れた版画も多く制作している。1971年、レジオン・ドヌール勲章を受章。1974年、アカデミー・フランセーズ会員となる。
ベルナールはあまりにも早い時期に名声を得すぎたためか、後年の作品にはややマンネリ化の傾向が指摘されるなど厳しい見方もある。日本には早くから紹介され、静岡県長泉町には彼の作品のみを収蔵・展示するベルナール・ビュフェ美術館が1973年開館した。
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ビュフェは多作の画家としても知られています。
自分には絵を描くことしか ない と
彼の妻は ほんとうに 綺麗な 人だった
しかし 彼は ほとんど画風を変えず
絵を描き続ける
すごいね。
「画風を変えない」って ことは そこに
刺激(女など)が かわらなかったんだろうね
わたしは つまらない絵を描いている
もっと もっと わたしは 変わっていきたいのだ。。
どうなのだろうね。。
変わらない 「ビュフェ」がいいのか
女ごとにかわる「ピカソ」が いいのか
しかし ビュフェが 高校の時描いた絵をみると
その線の美しさに 会うまでは 違う絵を描いていたんだね
父と自分
わたしも10歳で 「画家になりたい」と思っていた
彼は 「アトリエ」で 自分の命を絶った
きのう 友が母の死んでる姿を見つけたそうだ
病死だったんだけど
その 驚きはわたしには 計り知れない
しかし だれにも 「死」は くるんだね
その日が わたしにくるまで
「ブログ」では 言えない苦しみと 吐露させてください