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■銅像
ええええええ
あの、、胸像かな?
わたしの作りたいって
写真を たくさん 撮っていく
ええええええええええ
何につかうんだ。。
で。。おおきな おおきな 写真を引き伸ばしたのを もってきてくれた
でも。。わたし、。。。醜いので 。。。いらないです
■新聞
きょうは産流新聞でなく
痴呆新聞にでました(書いたら地方新聞の間違いでは??ってパソコンに言われました)
■小学校の恩師
図工の先生が 来ました
昔の名前でないので それに 太っているので
わからなかったみたいで
「先生ですよね?」って 言ったら
すごい びっくりしていました
某国立小学校だったので
みんな 覚えてること 言ったら
もっと びっくりしていました。
担任でなかったのでそのこともびっくりしていましたよ。。
先生も退職したので 「本」を出したいんだって
■個展中ですが 。l。退散
ごめんね すごい 勢いで
戻ってきて 授業。
待ってる 生徒と たのしく 工作
■中学年は 針金
子供のすばらしさに 負けます
ありがとう。。
個展では わたしは 一冊一冊にサインをしてる
今は バラが きれいだったから
バラがおおいね
でもね ばらって なんか 叶姉妹に似てない?
ほんとうは もっと かわいい 素朴な花なんか すきなんだけどね。。
で。。進化だ。。
だれだって 「脳みそ」と「技能」を 訓練して
進化に 進んでいく
まず 脳みそは 「指導者」によって 養われる
そして 何回も 何回も 描かなくてはいけない
昨日 NHKでビュフェをしていた

かっこいいね
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1943年、パリ国立高等芸術学校に入学。1948年、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。この頃から天才画家として有名であった。硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩を特色とする独自の様式を築き、その画面には人物の不安げな表情などとあいまって第二次大戦後の作者の不安で荒涼とした心象風景が表されている。女性像のモデルは多くの場合、妻のアナベルである。油彩画のみならず、優れた版画も多く制作している。1971年、レジオン・ドヌール勲章を受章。1974年、アカデミー・フランセーズ会員となる。
ベルナールはあまりにも早い時期に名声を得すぎたためか、後年の作品にはややマンネリ化の傾向が指摘されるなど厳しい見方もある。日本には早くから紹介され、静岡県長泉町には彼の作品のみを収蔵・展示するベルナール・ビュフェ美術館が1973年開館した。
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ビュフェは多作の画家としても知られています。
自分には絵を描くことしか ない と

彼の妻は ほんとうに 綺麗な 人だった
しかし 彼は ほとんど画風を変えず
絵を描き続ける
すごいね。
「画風を変えない」って ことは そこに
刺激(女など)が かわらなかったんだろうね
わたしは つまらない絵を描いている
もっと もっと わたしは 変わっていきたいのだ。。
どうなのだろうね。。
変わらない 「ビュフェ」がいいのか
女ごとにかわる「ピカソ」が いいのか
しかし ビュフェが 高校の時描いた絵をみると
その線の美しさに 会うまでは 違う絵を描いていたんだね
父と自分
わたしも10歳で 「画家になりたい」と思っていた
彼は 「アトリエ」で 自分の命を絶った
きのう 友が母の死んでる姿を見つけたそうだ
病死だったんだけど
その 驚きはわたしには 計り知れない
しかし だれにも 「死」は くるんだね
その日が わたしにくるまで
「ブログ」では 言えない苦しみと 吐露させてください
■フリーダカーロ
女を作った 旦那に怒り
男を作る!
ぜったい いいよね。。
すごい もう少し私が 綺麗なら。。
男ができるかもしれない
わたしは 醜い
■ちまき
えっと 新潟のおばあちゃんからのちまき持ってきてくれて
代わりに 紙袋に絵をかいていきました
みずちゃん
■今日も来た
まおちゃん はるかちゃん
あ。。間違いです 「ゆうちゃん」「みいちゃん」でした。
ごめんね
■個展中は食べない でない
わたしは 絶対個展から離れない
だから 野菜 少ないでしょう?って
でね おいしい トマトを 毎回持ってきてくれる
■で。。食べてみました。
まおちゃん すごい いいね。
ミニトマトが でかく見える
まおちゃん お顔がちいさいの。。
でも 4歳 絵が 上手い
■で。。姉妹
幼い絵には 勝てないね。
■カラオケ
で。。昨日のメンツと
ファンと カラオケ。。
はっさん!
すごい 二日酔いだ。
こんなんだね。
カクテル って すごいね
ほんとうは ビール1杯で いいや。。
ところで もう 一人 好きな画家 いた
すまないけど 書いて良いかな・
フリーダカーロ

実際のかれらの 写真だ
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コヨアカンの出身。ドイツ系ユダヤ人[1]移民で写真技師の父ルーマニア・オラデア出身とメキシコ先住民の血を引く母[2]の間に生まれた。6歳の時にポリオに罹患して右足が不自由になる。また二分脊椎症を患っていた[3]。更に1925年9月17日、乗っていたバスが路面電車と衝突し、肩の脱臼、肋骨・鎖骨・背骨・骨盤の骨折、右足の粉砕骨折など瀕死の重傷を負った。
入院中に絵を独学で学び、ディエゴ・リベラにその才能を認められ、1929年8月21日にリベラと結婚。しかしリベラとフリーダ双方の浮気(フリーダはバイセクシュアルであった[4])や、バス事故の後遺症に伴う流産などが重なって1939年に離婚するが翌年復縁し、以降は怪我の後遺症に苦しみながら創作活動を行う。ヨーロッパ的な感性にインスピレーションを得、知的かつ特徴的な独自のシュルレアリスムは、フランスのシュルレアリストに高く評価された。
メキシコで最も有名な画家の1人で、特にイサム・ノグチやレフ・トロツキーとの不倫など、その奔放な恋愛遍歴は、メキシコやラテンアメリカの女性の理想像の1つとされ、何度か映画化されている。メキシコ共産党員でもあり、居室にヨシフ・スターリンの肖像を掲げて暮らしていた。
1954年7月13日、肺塞栓症で逝去。彼女の生家・通称「青の家」(La Casa Azul)は、現在「フリーダ・カーロ博物館」となっている。
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情熱を感じる
夫は いつでも どこでも
女と うわきだ
しかし 彼女は いらいらしながらでも 夫をまつ
彼女のことをしって
映画になるのを たのしみにしていた
http://www.frida.jp/
どんな映画か わかるよ
どんな 苦悩の時も 絵を描き続ける
すばらしいな。。
美術館で 見てから 映画を見た
その 貪欲なまでも 「描く」って ことが
すごね。
わたしは そこまで いけなかった
絵が うまくないんだね。
どうしたら いいんだ
人の 心まで 動かせることがしたい、、
きのう すばらしい手紙が 来ていた
なんとも いただいたのに 鞄に いれていた
きのう 封筒がほしくて あけたら
すばらしいないようだった。
ファンを 大切に出来ない
わたしに 絵に喜びが 入れられるだろうか。。
眠いので もう少し寝てから
でかけます
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わすれました
きのう わたしの展示のデパートで
この人の 展覧会をやってる 画商さんが きました
「先生の版画かして」って これ 額付き52500円
あっと いう間に 作ってくれます
わたし。こんな 美人では ありません
(demo sukoshi yokokonndeimasu)
げ。。消してしまった
明日になっちゃう。。
こまった。。
ここで 送ろう
■ナン
おいしい ナンを きょうは ブログを読んだ人が持ってきてくれた
最高に おいしい
ナッツとレーズン入っていた。。
すごい
■韓国のおみやげ
友が韓国のすごいファンなんだ
けっこう おいしかったが
まがいもの。って あ。。本物か?
■MAOちゃん
入ったばかりの子
で。。4歳 きりん 描きたいって 上手かった びっくり
■ジュークボックス
すごかった レトロな。。
私の市で ここしかないって
こわれないんだって。。レトロで よかった
■カクテル
ママが作ってくれた
なんか すごい よかった
感動だったよ。。
知らない世界って あるな。。
刺激が欲しいって よかった
■飲み過ぎ
■すごい酒
わかんない なんだろう
すごいんだって
■黒革の手帳
すごい 本物。。
これに 御客の好きなカクテル 書いてあるって
すごいな その 意気込みが ステキで
なんか 感激
わたしも もっと 研究しなくちゃ
■カラオケ
ガンガンに 歌ってきました
私は昔から 水商売をしたかった
いいな。。って
今はめっきり 「水商売なのですが。。」って 「水彩画家です」って
刺激のある 一日でした。ありがとう まま
で。。今日中に 更新できました。
絵は 友達と乳首の話をしました。。
「へ。。そうなんだ」って 知らない世界をかいま見ました
内容は 書けません。。

